「酒は飲め飲め、飲むならば、日の本一のこの槍を、飲み取るほどに飲むならば、これぞまことの黒田武士」
日本一の槍(日本号)を飲み取った黒田武士の名は、母里太兵衛友信(もりたへいとものぶ)で、後藤又兵衛と並んで、黒田藩きっての大酒豪であり、槍の名手でもあった。
ある日、福島正則の所へ年賀の使者に立つことになったが正則は、無類の酒好きで、また荒大名で聞こえていたので、黒田藩主黒田長政は、面倒が起きては−と考え太兵衛に「どんなに酒をすすめられても、絶対に飲んではならぬ」と、その日一日の禁酒を言い渡した。正則は案の定いい飲み相手が来たとばかりに早速酒をすすめる、太兵衛は主君の命があるので断固として断る。それでもしつこく酒を勧める正則は、三升はらくにはいる大杯に並々と酒を注いで、「この酒を飲み干したなら、なんなりと好きなものを褒美にとらすぞ」と意地になって勧めるが太兵衛は断固、断る。
業を煮やした正則は今度は挑発作戦にでた「なんだ、酒豪だと言われる母里でさえ、このくらいの酒を飲む自信がないとは黒田家の侍もたいしたことないな、腰抜け揃いの弱虫藩か長政殿もお気の毒に」太兵衛、己ばかりか、藩を侮辱することは許せない。藩の名にかけて−と勧められる杯を手に取った。杯と言っても直径一尺、三升入り漆塗りの大杯である。太兵衛はそれを、一息の内に飲み干すと「おかわり」、又「おかわり」とあれよあれよと飲み干した。飲み終わると「お約束のご褒美にはその槍を」と一本の槍を指した、その槍こそ第百六代正親町(おおぎまち)天皇が将軍足利義昭へ下付され、義昭から織田信長へ、信長から豊臣秀吉へ、秀吉から福島正則へ譲られた天下の名槍「日本号」であった。 正則も家宝ともいえる槍であったが「武士に二言なし」と譲り渡した。太兵衛は、槍をかつぐと藩歌「筑前今様」(現在の黒田節の元歌)を歌いながら、いい気分で帰ったという、何とも戦国武将らしい剛坦なはなしである。